憂国祭(20年)                       殉青広報部
本年、中山成彬前国交相の日教組批判と、田母神俊雄前空幕長「自主憲法を制定せよ!」の論文で両氏が罷免された。
 昭和45年、同様の主張を「盾の会」三島由紀夫隊長が、東京都市ヶ谷駐屯地台場から自衛隊員を前に、自衛隊法改正の「激」を飛ばした。
 而し、隊員の罵声と怒号に、もはや親兄と慕う自衛隊には義を以って決起する将軍は居無いと失望し、森田必勝隊員と共に命を以って血願した。
 だが何等、変革を見ぬままに三十八年が経過。 而し乍、我が国が真の独立国家として世界へ誇る為には、自主憲法の制定は不可欠で有る。
 その思いから、三島・森田両烈士の御遺志を継承する目的で「憂国祭」が、全国各地に於いて例年行われている。
 当塾は、本年命日の十一月二十五日、忌宮神社(下関市長府)にて斎行される「憂国祭」に、同席をさせて戴いた。
 生駒 治斎主(眞情会)の下に午後六時依り、神事「降神之儀・祝詞奏上」等を進め、続いて祭主代表の青田國男会長(眞情会)並び、川村仁誠代表(日本協議会山口祖青の会)が玉串奉典。
 「激」を長州萩「草莽立志の会」事務局・田中祐一氏が代読。 次に青田会長が三島・森田両烈士の時世の句を詠み上げた。
 続いて寺岡 誠塾統(殉国青年塾)・下林秀幸行隊長(大日本国誠連合)等、参列者が順次「玉串奉典」を済ませ、厳粛の中、式典を終了した。
 主催者を代表し、青田会長が参列者へ謝辞。 最後に宮原和久氏(日本会議・福岡)が「天皇陛下御在位二十年をお迎へして」の講話。
 午後八時依り直会(懇親会)の為、席を準備するが、大半は遠方等の都合も有って先に退席。
寺岡塾統並び、宇津宮秀人代行と林 吾郎本部長三名は、主催団体等との交流を深めるため直会へ出席し、名刺交換等を済ませ、午後八時半前、中途退席の挨拶を済ませ帰路に就いた。         以上

殉青広報部 
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